江戸時代の紀州は徳川御三家で、田辺市周辺は紀州藩「田辺領」として、城代家老の安藤家が領主として治めていました。
この時期からやせ地に梅を植えることを保護奨励したことで、農家に梅栽培が広がりました。
江戸時代中頃には、江戸で庶民の間に梅を漬けること、梅干し福茶や喰い積み(おせち料理に梅干しを使う)の習慣が広まり、梅干しの需要が増したことで、田辺領からもたくさんの梅干しが樽で送られました。
良質の梅干しを選び、この樽に紀伊田辺産の焼き印が押され「田辺印の梅」として人気を博したと言われてます。
そこでこの、「田辺印」の梅のことが記録されている文献を探してます。
心当たりのある方は情報の提供をよろしくお願いします。