「古城梅」は田辺市が発祥の地。
かつて〝青いダイヤ〟と称され、大きくツヤのある青い実は梅酒に最適とされ市場で高い評価を受けました。
「古城」の誕生は大正時代、田辺市長野で梅を栽培していた那須政右ェ門さんが、穂木を接いで育成した中から、色つやが良く肉質良好な梅を発見しました。
昭和になり、その梅は優良品種に選抜され、那須政右ェ門さんは家の屋号をとってその梅を「古城」と名づけました。
戦後の梅酒ブームも手伝って栽培も拡がり、昭和50年代から平成初期にかけて最も生産量が伸び、2,000㌧を超えていましたが、その後は収益性が高く幅広い用途の「南高梅」へと転換が進み、「古城」の生産量はピーク時の半分にまで減少しています。
「古城梅の火を消してはならない」と平成13年、地元の農家7人が立ち上がり、「長野古城梅振興会」を結成しました。
会では、純粋な古城は深みのある濃い緑色で、「古城」が梅酒に最適との点に着目し、こだわりの梅酒づくりで振興を図っています。
「古城」で造った梅酒は年月を経ても原液が透き通り、次第に琥珀色が濃くなり、すっきりとキレのある味になるのが特長と言われています。
会員の農家では毎年梅酒を漬け込み、〝ほんまもんの古城梅酒〟のマニュアル作りを進めています。