日本人に愛される梅
梅は、寒さに耐え、桃や桜に先駆けて美しい花を開き、馥郁たる香りを漂わせることから、万葉集では桜の42首に対し118首も詠まれています。また、「観梅」「松竹梅」といった言葉からもわかるように梅は古くから日本人の心に深く関わり、愛され親しまれてきました。
梅の起源と「令和」
わが国の梅は、中国からの移植説と日本古来の原産地説などがあり、定かではありませんが、文献・学者の多くは中国原産地説をとっています。
新元号「令和」は、『万葉集』の巻五、梅花の宴で詠まれた梅花の歌32首の序文「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」が出典です。梅花の宴は730年に大宰府の大伴旅人邸で開かれましたが、当時梅は中国から渡ってきたばかりで珍しかったことから梅の花を愛でて開かれたといわれています。
このように、日本では、花がまず人々の関心を引き果実の利用はその後になったのに対し、中国では果実の利用が先だったようで、古事記が成立(712年)する200年余り前の「斉民要術」に梅の塩漬けが記録されています。日本で梅干しが初めて書物に登場したのは、平安時代の中頃であり、中世以降において果実の利用が盛んになってきました。
鎌倉時代以降、実の多くは梅干しとして食用に供され、薬用としても重宝がられ、花は観賞用として人々に愛されてきました。また、木は硬質のため器物に使用されていたようです。
以来、梅干しの需要が大きくなり、現在では梅酒や梅ジャム、梅エキス、ドライフルーツなど、さまざまな梅製品がつくられています。
梅の品種
梅の品種は、よく花梅(はなうめ)と実梅(みうめ)に区別されますが、これはあくまで利用上の分け方であり、厳密に区別されるものではありません。花梅と呼ばれているものは、花の観賞が主で結実がよくないか、または、果肉が薄く種が大きいなど果実としての品質がよくないものが多いと言われています。一方、実梅は、結実がよく品質のよいものが多く、花の色も白か淡紅で、紅色の濃いものはありません。また、開花は一般的に遅いものが多く、花弁もほとんどが一重です。梅は、ほとんどが自家不結実性です。
実梅の品種は、全国で約100種あるといわれています。しかし、全国的に栽培されている品種はわずかで、ほとんどが地方品種であり、関東地方の「玉英」「白加賀」「養老」、北陸地方の「藤五郎」「藤之梅」「紅映」「剣先」、東北地方の「豊後」「高田梅」などがあります。田辺市では、「古城(ごじろ)」「南高(なんこう)」「パープルクイーン」が有名です。
梅(プルナス・ムメ)
梅は、バラ科、サクラ属の落葉樹で正式な学名は「プルナス・ムメ・シーボルト・ツッカリーニ」(Prunus Mume Sieb. et Zucc.)といいます。 江戸時代末期、医者であり博物学者でもあるシーボルト(ドイツ人)がオランダの医師として来日した際、日本国内の多くの動植物を採集し、帰国後、植物学者のツッカリーニとともに『フロラ ヤポニカ』(Flora Japonica)を出版、梅(プルナス・ムメ)を発表しています。